2009年9月24日木曜日

映画キャデラックレコード

  恵比寿で映画を観てきた、題名はキャデラックレコード、1950年代のシカゴが舞台で、ブルースからロックンロールへ、黒人の音楽から白人も含めた聴衆へと流行歌の大衆化が図られた時代の物語だ。俳優は実在した人物を演じているのだが、私はチャック・ベリーの名前しか知らなかった。
  当時の音楽をたくさん聞けるのだろうという想定で観に行ったのだが、常時音楽が流れているものの劇中歌の曲数は少なく、この点では期待外れだった。
  早めに出かけたので上映開始まで時間が余ってしまい、隣にあったエビスビールの麦酒記念館に入り暇を潰した。これといって珍しいものは無かった。ただ、そこにはティスティング・ラウンジがあり喉から手が出たが、禁酒中なので涙を飲んで我慢するしかなかった。

2009年9月20日日曜日

快晴の連休二日目

  通年連休の私にシルバーウィークは意味が無いが、みんなが楽しく遊んだり渋滞にウンザリしたりという光景を見ることは嫌いではない。表に出てみたら、ほんとに雲ひとつない快晴だった。画像処理ソフトで青色を足さなくても真っ青な空に撮れた。
  メインに使っているVista機がご機嫌斜めである。今夜からWindowsの再インストールを行う。リカバリー作業は比較的短時間で済むが、その後に控えるUpdateには相当の時間がかかる。禁酒中なので待ち時間が手持無沙汰である。

2009年9月15日火曜日

ジオン注、痔核治療12ヶ月点検

  一年前にジオン注という注射による痔核治療を試みた。点検をしてみると、効果があった部位とそうでない部位がある事が分かった。医師との相談で、効果が出た部位には再度ジオン注を、そうでない部分は切除する事にした。
  手術ではあるが入院を必要としない。午後に出かけ、手術後麻酔がさめるまで2時間ほど休憩して夕方には帰宅となる。痔核切除では仙骨硬膜外麻酔で医師と会話を交わしながら手術を受ける事が出来る。
  10日午後に手術を受けた。手術は麻酔のおかげで痛みも無くわずかな時間で終わった。術後は自力歩行で休息室へ移動しTVを観て時間を潰した。帰宅後は、鎮痛剤などの薬効で激しい痛みなどは無く、尻が少しばかり痛苦しい感じだった。
  たいへんだったのは、翌日と翌々日、強い便意でトイレに何度も駆け込むのだが、いざ便座に座ると排便ができない。冷や汗タラタラの状態が続いた。三日目になって体が慣れてきたのか私の要領がうまくなったのか、やっと排便ができた。今日は五日目、まだ少量の出血や分泌物があるが、力まずに行動すれば普通に家事ができる程度に楽になってきている。辛いのは禁酒だ。
追記 2013/01/14
  今もこの記事を参照する人がいるのでその後の経過を記述しておく。特に問題も無く過ごしたのだが念のため更に一年後(2010/08)に診察を受けた。その時の医師の判断は問題なし完治しているとの所見。それ以降今日まで肛門科にはかかっていない。酒も普通に飲んでいる。世話になった医院はおばら消化器肛門クリニック

2009年9月8日火曜日

D200からD300Sに更新

  オモチャを買い替えた。D100→D200→D300→D300Sとニコンは2年おきにモデルチェンジをしてきた。D100-D200と買い替えたがD300はひと休みして今回D300Sにした。連写が毎秒7コマになり、おふざけと思われる動画撮影機能がオマケで付いた。マニアックな毎秒24コマという映画と同じコマ数の動画だ。
  普通に写真を撮るには進歩した機能を提供してくれた。動画については、普通の民生ビデオカメラとは大きく違っている。一眼レフの優れたレンズで趣の深い映像を作る事は出来るが、ズーム・フォーカスを的確に手動で操作できないとこのカメラでの動画の優位性は生かされない。アマチュアビデオカメラマンは、このカメラでビデオを撮ることは諦めた方がいい。さて私の場合はどうなるのか楽しみである。

2009年9月6日日曜日

東京JAZZ2009国際フォーラムAホール

  ジャズを聴きに行ってきた。好みのプログラムを選んだので演奏はみな良かった。このようなコンサートは、PAを聴きに行くようなものでPAミキサーの力量が問われる、もっとしっかりと頑張ってもらいたい。主催はNHKと日経新聞、TVカメラの性能が向上したせいかステージの照明が昔よりも暗いと感じた。
  原信夫82歳、マッコイ・タイナー70歳、デイヴィッド・マシューズ67歳、みんな歳をとったが楽器を手にするとまだ若い。聴衆も私以上の年齢層が半数くらいだった。
  5,000人収容の会場でいいプログラムなのに7~8割の入り、不況のせいか、まっとうな音楽をないがしろにして目先の利益に走ってきた音楽業界の自業自得か。